記憶 

ヘンリー・グスタフ・モレゾンは、脳研究の歴史の中でも、最も有名な患者のひとりだそうです。

10歳のときから、てんかんによる痙攣に苦しんでいました。痙攣が強く頻繁に生じるようになったため、27歳のときに医師はてんかんの原因と考えられた脳の部位を切除することを勧めました。1953年、外科医のスコヴィルが内側側頭葉の手術を行いました。

手術の領域について、Scoville & Milner (1957)は、"両側の内側側頭葉の切除を行い、前方には側頭葉の端の中間点から8cmまでとし、外側には側頭角まで切除した"と述べています。

手術から回復し、てんかんの痙攣はかなり改善しました。しかし、手術前に知っていた出来事や事柄は覚えていましたが、手術後のことは事実上、何も記憶できなくなりました(運転技能などは習得できましたが、学習したこと自体は覚えていなかったなど、いくつかの特徴がありました。)

モレゾン氏は「H.M.」と称され、その後、数十年にわたって、自分の奇妙な記憶についての研究に協力しました。およそ50年間にわたってモレゾン氏の研究に携わってきたマサチューセッツ工科大学(MIT)の神経科学者、スザンヌ・コーキンは、モレゾン氏の記憶障害の原因は海馬自体の損傷というより、内嗅皮質の損傷だったことはほぼ間違いないだろうと述べています。内嗅皮質とは、海馬への主要な入力経路です。

下のアニメで、両側の内側側頭葉を手術しましたが、実際は、大脳辺縁系の海馬、海馬傍回、扁桃体の約60%を切除し、海馬はほぼ全部、側頭葉も一部切除しました。

 

術後の変化

できたこと  普通に生活し、会話が可能で知能も正常。家族のことや子供の頃の出来事も覚えていました。

引っ越した家で、毎日、生活する家の間取りは描けました。空間認識や距離感などは自然と把握できました。

手作業自体は、訓練すると上達しました。

 

 

できなくなったこと

新しいことを一切覚えられなくなりました。読んだ新聞のニュースは、1,2分で忘れました。

新しい家に引っ越したとき、家の住所は覚えられませんでした。

手作業の訓練をしたという事実自体は覚えていませんでした。

モレゾン氏の手術が行われた当時、一般的には、記憶痕跡は脳全体に行きわたっていると考えられてましたが、同氏の事例から、特定の記憶機能には、脳のある特定の部分が不可欠であることがわかりました。

 

それでは、まず、記憶の種類について考えてみましょう。下のアニメを見てください。

 

 

意味記憶は、知識や一般的な事実に関する記憶を指します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エピソード記憶とは、個人的な体験や出来事にまつわる記憶です。

 

 

 

 

 

 

 

これら2つをまとめて、陳述記憶といいます。陳述、つまり、言葉によって他人に伝えることができるかどうかが判断の基準です。

次に、陳述記憶に対して、非陳述記憶があります。2種類あります。まず、一つは手続き記憶です。日常的な動作や運動においての記憶です。下のビデオのように、ハシを使えるようにトレーニングすると、体が覚える記憶です。同じ経験を反復することで、作られ、動作的な記憶といえます。

 

手続き記憶

 

2つ目は、条件反射です。ご存じのように、パブロフの犬です。

ベルを聞かせながら、えさを与えます。これを繰り返すうちに、よだれも出ます。

次に、ベルだけを聞かせます。すると、よだれがでます。ベルの音を聞くだけでよだれがでることが、条件反射です。えさは、無条件刺激といいます。学習しないにかかわらず、その刺激自体が、強制的に何らかの行動を引き起こす刺激です。

よだれを出させる原因になるベルの音は、条件刺激といいます。

条件刺激に呼応して意識に関係なく反射的に起こる行動や現象を条件反射といいます。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間をものさしに記憶を分類する場

 

 

 

 

 

 

 

 

 

短期記憶は、数分から長くて数十分で消えてしまいます。

何日たっても覚えている記憶が長期記憶です。

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上のように、脳の働き方で分類する場合、大脳が担当する理性や人間性に関わる記憶と

小脳が司る運動関係の記憶があります。

 

脳が記憶を蓄える仕組み

1965年、エリック R キャンデルという学者が初めて記憶と神経回路の可塑性(神経系に変形が起きた場合、その変形がそのまま残る性質)との関係を明らかにしました。

実験に使われたのは、アメフラシという、磯の海辺に生息するナメクジのような軟体動物です。

無脊椎動物は小さな脳のわりに、極めて高度な行動を示します。つまり、その行動の変化のもととなる学習・記憶の能力がとても高いことを意味します。学習や記憶の能力だけをみると昆虫類のほうがずば抜けて良いわけですが、軟体動物腹足類は簡単に見分けのつく大きなニューロンをもち、そのニューロンの個数も比較的少ないので、行動の変化を細胞レベルそして遺伝子レベルで直接的に調べるのに適しています。

アメフラシ

攻撃を受けると、紫色の液で目くらましをかけます。水の中で液体が広がる様が雨雲が広がるようで、アメフラシと名付けられたようです。英語では、sea hare です。hareは野ウサギのことで、角の部分がウサギの耳に見えるようです。

アメフラシの神経系は巨大な細胞体でできた神経節で、ヤリイカと同様に研究に向いていて、簡単に手に入ります。

 

 

まずは、アメフラシの動きを調べたようです。

 

左の絵のように、アメフラシをひっくり返すとサイフォンという管とエラがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サイフォンに水を噴射するとえらを引っ込めます。

これがえら引き込み反射です。

 

初めに用いた実験で、サイフォンと尾部に水を噴射してえら引き込み反射を調べました。

この実験で、えら引き込み反射には、慣れhabituationの現象が見られること、つまり、サイフォンに軽い刺激を加え続けると、えらを引き込まないという慣れがありました。ある意味、安全と思うのでしょうか。

 

 

 

 

 

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そこで、サイフォンをえら引き込み反射が出ない程度に軽く刺激し、直後に尾に電気刺激を与えました。これを繰り返すことで、えらを引き込みました。

次に、尾部に電気刺激を与えずに、アメフラシはサイフォンの軽い刺激でえら引き込み反射を起こすようになり、パブロフの条件反射が出来ました。ここではCS(条件刺激)はサイフォン刺激でUS(無条件刺激)は尾の電気刺激になります。

こうして彼らは神経伝達には強い可塑性があると考えました。

つまり、ある刺激を無条件に行い、ある反応ができあがることを作成し、その間に、以前では何の反応もなかった軽い刺激で、ある反応が起こるのを確認したと思います。

 

刺激を繰り返すことで、新たな反応ができたわけで、これに関係した神経回路が固まった結果でしょう。繰り返し2種の刺激が組み合わされるとシナプス結合が増強されることが条件反射の本態であることが明らかにされた訳で、そこには高等動物の脳神経のような複雑な回路は必要なく、3つの神経の結合だけで十分なことが示されました。

そこで、アメフラシ腹部神経節で、条件反射が引き起こされたシナプスの刺激で、サイクリックAMP(cAMP)の濃度が上がることを発見しました。さらに、セロトニンが同様にcAMPを上昇させることを認め、彼らはセロトニン(5-HT)がアメフラシの介在神経の神経伝達物質であると考えました。

 

以下の説明は、アニメで解説していません。https://ameblo.jp/yudaganka/entry-10816636617.html

のサイトから引用しました。湯田眼科の先生のご努力によるものです。

 

これらの事実にもとに、以下の仮説を考えました。

尾の刺激を伝達する介在神経軸索終末で放出されたセロトニンが、感覚神経軸索終末でGタンパク連結型受容体を介してアデニル酸シクラーゼの活性化を引き起こす。これによりサイクリックAMPが産生され、次にcAMPはプロテインキナーゼAを活性化する。と考えました。

SN:感覚神経細胞

INT:介在神経細胞

MN:運動神経細胞

                           △:シナプス前終末

 

 

 

この図は、尾を刺激したとき、尾の刺激を伝達する介在神経の軸索終末で、セロトニンが放出されます。

感覚神経の軸索終末では、セロトニン受容体があり、そこにGたんぱく質が隣接しています。

セロトニンが受容体に結合すると、離れたGたんぱく質が、アデニル酸シクラーゼを活性化します。

このシクラーゼは、ATPをCyclic AMPに変換します。

産生されたcAMPは、プロテインキナーゼAというl酵素を活性化します。

 

 

 

 

 

  隣の絵は、受容体のほぼ正常の状態をあらわしています。  

 

 ここから、物語が始まります。

活性化されたプロテインキナーゼAは、感覚神経終末のKチャネルをリン酸化し、チャネルの構造を変えます。

 

 

 

左の絵のように、Kチャネルの構造が変わることで、Kチャネルが閉じます。

チャネルが閉じたため、軸索の細胞内のKイオンが、細胞外にでません。この状態が続くことで、脱分極が長く続くことになります。

ここで、電位依存型のCaイオンが長く開きます。

次に、Caイオンが細胞内に増加し、感覚神経の神経伝達物質が多く放出されます。伝達する効率がよくなり

えら引き込み反射の過敏性が増します。

 

 

 

 

さらに、介在神経の刺激、つまり、尾を刺激する前に、ほんの少し早く感覚神経を刺激、つまり、サイフォンを刺激すると、感覚神経の軸索で、電位依存性Caチャネルが開き、Caイオンの細胞内への流入が増加します。

細胞内で増加したCaイオンは、細胞内のカルモジュリンを介し、その後に生じる介在神経よりのセロトニン放出とアデニル酸シクラーゼの活性を増強します。

cAMPが多量に生成されるため、条件反射が完成します。

つまり、尾部に電気刺激を与えずに、アメフラシはサイフォンの軽い刺激でえら引き込み反射を起こすようになり、パブロフの条件反射が出来ました。

これが短期記憶に関係しているようです。

 

 

プロテイキナーゼAは、Kチャネルの構造をかえました。つまり、シナプスの可塑性にかかわっていました。

そこで、このキナーゼAを阻害した実験をすると、えら引き込み反射は生じませんでした。つまり、神経回路の可塑性(神経系に変形が起きた場合、その変形がそのまま残る性質)が記憶の本質と結論付けました。

重要な点は、cAMPというセカンドメッセンジャーが主役であるということです。これはcAMPを上昇させるような伝達物資でありさえすれば、あらゆる神経で同じことが起こりうることを示唆しており、普遍性を持っていると言うことができるのです。

こうしてアメフラシというおよそ人とかけ離れた生物で起きていることを、人の神経にも当てはめることができることになりました。

 

現在、長期増強という数日間にわたって記憶が維持されることの解説に取り組んでいます。

また、見てください。−−−−−−−−アップするまでに、1ヶ月かかると思います。では、また。