1年間に及ぶ長期人工呼吸管理で救命できた乳児間質性肺炎

この症例は、自分が集中治療領域の仕事に取り組むように、背中を押してくれた患者です。
酸素濃度を51%以下にできず4ヶ月が過ぎ、この間、経管栄養とIVHで切り抜け、体重が増え始めると平行して、すこしづつ、酸素濃度を下げることができました。
母親の希望で、気管切開をせず、経鼻気管チューブで管理しました。事故抜管は1年間で13回ありました。本人が自分でチューブを抜いたことはありません。なにかしら、チューブは大事と分かっていたような気がします。健気というのでしょうか。生きることがどうゆうことか、体で分かっていたのでしょうか。チューブの入れ替えの時、チアノーゼで真っ黒になりました。このとき、彼は、何を思ったのでしょう。次の日には、静かに、ベッドで寝ていました。とても、助かるとは思っていませんでした。こちらが手を引けば、明らかに、死んだでしょう。ICUの看護師さんは、献身的に、母性の気持ちで接していました。これが、母親の姿でしょうか。また、若い麻酔科医の連中が、自分を叱咤激励してくれたように思います。多くの人たちの協力で、すくい上げることができたように思います。一番、忘れてはならないことは、彼の生きる力が強かったのでしょう。この出来事は、1994年のことでした。今、記憶をたどりながら、筆を進めている時期は、2018年3月のことです。今も、鮮明に覚えています。
ここに、テレビで放映されたビデオがあります。ご覧ください。 https://youtu.be/5nHwuvf29JM
油脂性肺炎の乳児に対する1年間の長期人口呼吸管理

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